2012年12月10日
塩崎城跡(長野市)
千曲市北部の山城と千曲川を挟んで西側の山城跡、塩崎城跡~赤沢城跡~小坂城跡を巡った。
まずは塩崎城跡、標高590m、比高190m、登城時間25分。
第5次川中島の戦いでは、北信濃へ進軍した武田信玄は塩崎城に布陣し、川中島出兵した上杉謙信と対陣したといわれる。

長谷寺のPをお借りして ↑ この階段を上がる ↓ 城跡の案内
城跡はこれより上の方約150メートル先にあり、西国33番観音霊場、高圧電線鉄塔、大岩の上りを経て三の郭の南部にたどり着く。
応永7年(1400)信濃守護小笠原長秀の軍勢200近くが四富河原での国人衆との合戦に敗れ、塩崎城に逃げ込み20日近く籠城
した。あわや落城寸前、佐久の大井氏の調停により、長秀が京の都に逃げ帰った出来事は、信濃国の中世史に名高い。
この山城は、頂上の本郭を中心に二の郭、三の郭、四の郭を備え、その下方には十段の曲輪、四の郭の後方には長大な堅堀、
本郭の左右には石塁が連なり、北に鶴萩沢、南に額谷沢の天然の備えがある。当地では古来、小笠原流山城の縄張で、地名から
白助城または五万長者城とも伝承されてきた。 平成24年3月 長谷区 塩崎文化保存会

石仏がたくさん並んでいる 大きな石が

登城中、千曲川対岸に千曲市北部の城跡がある山が見通せた。 第4次川中島の戦いでは、謙信が妻女山に陣営を設けた。

二郭から主郭を見る

本郭 堀切
訪れたのは11月下旬、花は・・・

センボンヤリ ノキシノブ ミヤマウズラ こんなところに!

オケラ 枯れている リュウノウギク ウスタビガの繭

11月下旬 まだ長谷寺の紅葉が残っていた
より大きな地図で 稲荷山の山城跡 を表示
まずは塩崎城跡、標高590m、比高190m、登城時間25分。
第5次川中島の戦いでは、北信濃へ進軍した武田信玄は塩崎城に布陣し、川中島出兵した上杉謙信と対陣したといわれる。


長谷寺のPをお借りして ↑ この階段を上がる ↓ 城跡の案内
城跡はこれより上の方約150メートル先にあり、西国33番観音霊場、高圧電線鉄塔、大岩の上りを経て三の郭の南部にたどり着く。
応永7年(1400)信濃守護小笠原長秀の軍勢200近くが四富河原での国人衆との合戦に敗れ、塩崎城に逃げ込み20日近く籠城
した。あわや落城寸前、佐久の大井氏の調停により、長秀が京の都に逃げ帰った出来事は、信濃国の中世史に名高い。
この山城は、頂上の本郭を中心に二の郭、三の郭、四の郭を備え、その下方には十段の曲輪、四の郭の後方には長大な堅堀、
本郭の左右には石塁が連なり、北に鶴萩沢、南に額谷沢の天然の備えがある。当地では古来、小笠原流山城の縄張で、地名から
白助城または五万長者城とも伝承されてきた。 平成24年3月 長谷区 塩崎文化保存会


石仏がたくさん並んでいる 大きな石が

登城中、千曲川対岸に千曲市北部の城跡がある山が見通せた。 第4次川中島の戦いでは、謙信が妻女山に陣営を設けた。

二郭から主郭を見る


本郭 堀切
訪れたのは11月下旬、花は・・・



センボンヤリ ノキシノブ ミヤマウズラ こんなところに!



オケラ 枯れている リュウノウギク ウスタビガの繭

11月下旬 まだ長谷寺の紅葉が残っていた
より大きな地図で 稲荷山の山城跡 を表示
Posted by hossy at 23:12
│長野市