塩崎城跡(長野市)
千曲市北部の山城と千曲川を挟んで西側の山城跡、塩崎城跡~赤沢城跡~小坂城跡を巡った。
まずは塩崎城跡、標高590m、比高190m、登城時間25分。
第5次川中島の戦いでは、北信濃へ進軍した武田信玄は塩崎城に布陣し、川中島出兵した上杉謙信と対陣したといわれる。
長谷寺のPをお借りして ↑ この階段を上がる ↓ 城跡の案内
城跡はこれより上の方約150メートル先にあり、西国33番観音霊場、高圧電線鉄塔、大岩の上りを経て三の郭の南部にたどり着く。
応永7年(1400)信濃守護小笠原長秀の軍勢200近くが四富河原での国人衆との合戦に敗れ、塩崎城に逃げ込み20日近く籠城
した。あわや落城寸前、佐久の大井氏の調停により、長秀が京の都に逃げ帰った出来事は、信濃国の中世史に名高い。
この山城は、頂上の本郭を中心に二の郭、三の郭、四の郭を備え、その下方には十段の曲輪、四の郭の後方には長大な堅堀、
本郭の左右には石塁が連なり、北に鶴萩沢、南に額谷沢の天然の備えがある。当地では古来、小笠原流山城の縄張で、地名から
白助城または五万長者城とも伝承されてきた。 平成24年3月 長谷区 塩崎文化保存会
石仏がたくさん並んでいる 大きな石が
登城中、千曲川対岸に千曲市北部の城跡がある山が見通せた。 第4次川中島の戦いでは、謙信が妻女山に陣営を設けた。
二郭から主郭を見る
本郭 堀切
訪れたのは11月下旬、花は・・・
センボンヤリ ノキシノブ ミヤマウズラ こんなところに!
オケラ 枯れている リュウノウギク ウスタビガの繭
11月下旬 まだ長谷寺の紅葉が残っていた
より大きな地図で 稲荷山の山城跡 を表示
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