唐崎城跡(千曲市)
千曲市北部、あんず・科野の里エリアの山城跡を巡った。まずは唐崎城跡、標高442m、比高84m、登城時間20分
招魂社の左手から登城 竹が沢山あった、弓矢を作ったのだろうか?
裏手の墓地(Pあり)に案内板があった 唐崎城跡20分、天城山110分
唐崎城の由来
此の城は朝日城・唐崎城・又は藤崎城とも呼ばれる。
唐崎山頂に在り、雨口・土口・生萱にまたがる。
此の城は生仁館の本城で、雨宮摂津守、または生身大和守の居城であったとも云
われ、一説には、宇藤摂津守安時が此処に居たとも云う事で麓を宇藤坂ともいう。
城の本郭は、東西二十四間(四〇米)南北十四間(二五米)、二の郭は、東西三十八
間(七〇米)南北十九間(三五米)程あり、他に四・五・六の郭と腰曲輪など東西三方
に広狭不同の三重の段郭を廻している。地勢に依って堀・枡形・馬出の跡と自然の
要害をなしている。(一部は見られない。)又城内に井泉の跡も二ヶ所あり。此の地
土豪、雨宮氏の築しところと伝へられている。時代は南北朝末応永時代約600年前
と推定される。
(資料は郷土誌などを参考にした。)
(頂上までは十五分~二十分位 屋代田圃・千曲川・高速道・篠ノ井方面が一望に
見渡せるが一部雑木林で多少の支障あり。)
平成十八年三月 東山開発委員会
広い登山道 小高いところが主郭だった
井戸跡のようなものがあった
この尾根の先に、天城城跡、鞍骨城跡があるが、またの機会に
アワコガネギク ヤブランの黒い実
他に、イチヤクソウ、イブキジャコウソウ、カワラナデシコ、フシグロ等の葉があった。
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